国木田独歩 (くにきだどっぽ)
【概説】
明治時代に活躍した小説家、詩人、ジャーナリスト。キリスト教の影響を受けたロマン主義の詩作から出発し、のちに主観を排して現実を客観的に見つめる自然主義文学の先駆者となった人物。
ロマン主義と自然への傾倒が生んだ『武蔵野』
国木田独歩は千葉県に生まれ、東京専門学校(現・早稲田大学)で英語や政治学を学んだ。この時期にキリスト教の洗礼を受け、イギリスのロマン派詩人であるワーズワースなどの影響を受けて文学への道を志すようになる。徳富蘇峰が主宰する民友社に加わり、ジャーナリストとして日清戦争の従軍ルポルタージュを執筆して名声を高めた。
文学者としての独歩の名を不動のものとしたのが、1898(明治31)年に発表された『武蔵野』(初出時の題名は『今の武蔵野』)である。本作では、それまでの日本の伝統的な美意識が捉えてこなかった、東京近郊の何気ない雑木林や自然のなかに潜む美と詩情が、西洋的な自然観を踏まえつつ叙情的な散文で描かれた。この作品は、日本文学における新しい自然描写の先駆となった。
『牛肉と馬鈴薯』と自然主義への先駆
日露戦争へと向かう明治後期の社会は、近代化の歪みや個人主義の台頭により、理想と現実のギャップが深刻化していた。こうした時代背景のもと、独歩は1901(明治34)年に『牛肉と馬鈴薯』を発表する。この作品は、「牛肉」(実利的な現実生活)と「馬鈴薯」(キリスト教的な精神的理想)のどちらを重視すべきかという、近代知識人の内面的な葛藤を描き、当時の読者に強い共感を呼んだ。
その後、独歩は冷徹な眼で人間の本質や悲哀を観察するようになり、『富岡先生』や『竹の木戸』といった短編小説を相次いで発表する。これらは、のちに島崎藤村の『破戒』や田山花袋の『蒲団』によって確立される自然主義文学の先駆的な役割を果たすこととなった。独歩自身は、自然主義の潮流が本格化する直前の1908(明治41)年に結核により36歳の若さで病没したが、その客観的な写実の姿勢は日本の近代文学に決定的な影響を与えた。