和様(和様書道)
【概説】
平安時代中期に成立・発達した、日本特有の柔らかく優美な書道様式。中国風の書風である「唐様(からよう)」に対する概念であり、国風文化の隆盛や仮名文字の普及を背景に生み出された。
国風文化の隆盛と唐様からの脱却
9世紀までの平安時代初期における弘仁・貞観文化では、空海、嵯峨天皇、橘逸勢ら「三筆」に代表されるように、中国(唐)の王羲之らの影響を強く受けた力強い書風(唐様)が尊ばれていた。しかし、10世紀に入って遣唐使が停止(894年)されると、大陸の直接的な影響が薄れ、日本の気候風土や日本人の感性に適合した独自の文化、すなわち国風文化が形成されていく。
この時期、漢字を崩した草書体から「平仮名」が、漢字の一部を省略して「片仮名」が成立した。これら仮名文字を用いた和歌や物語文学(『古今和歌集』や『源氏物語』など)が貴族社会で大流行したことにより、漢字と仮名を調和させて美しく書き表すための、流麗で柔らかな新しい書風が求められるようになった。これが和様書道誕生の歴史的背景である。
三蹟による和様の完成
和様書道の形成と大成に決定的な役割を果たしたのが、10世紀から11世紀にかけて活躍した三人の能書家であり、後世に「三蹟(三跡)」と称された小野道風(おののとうふう)、藤原佐理(ふじわらのすけまさ)、藤原行成(ふじわらのゆきなり)である。
まず10世紀中頃、小野道風が王羲之の書風を基礎としつつも、豊満で丸みを帯びた温雅な書風を創始し、和様の土台を築いた(代表作:『秋萩帖』『屏風土代』)。次いで10世紀後半、藤原佐理が道風の書風を受け継ぎつつ、流麗で躍動感あふれる個性的な草書体を展開した(代表作:『離洛帖』)。そして11世紀初頭、藤原行成が彼らの成果を統合し、極めて洗練された優美で均整の取れた和様を完成させた(代表作:『白氏詩巻』『本能寺切』)。
貴族社会における書の意義と特徴
和様の特徴は、線の太細の変化が少なく、筆の動きが連続的で柔らかいこと、そして文字全体に丸みを持たせている点にある。唐様が持つ威厳や緊張感とは対照的に、和様は優美さや叙情性を重んじた。
平安中期の貴族社会において、「書」は単なる文字の記録手段ではなく、その人物の教養や品格、さらには美的センスを直接的に表すものとして極めて重視された。特に恋愛における贈答歌などでは、和歌の内容以上に、どのような紙にどのような和様体で書かれているかが相手へのアピールにおいて重要視され、和様は貴族の必須の教養として定着していった。
後世への影響と展開
藤原行成が完成させた和様は、その後の日本の書道の確固たる規範となった。行成の子孫は代々書の家として「世尊寺流」を名乗り、朝廷の公文書や儀式における揮毫を独占的に担った。
さらに鎌倉時代には、世尊寺流から派生した伏見天皇の皇子・尊円入道親王によって「青蓮院流(御家流)」が創始された。この書風は実用的で読みやすかったため、江戸時代には幕府の公用文書の標準書体として採用され、寺子屋を通じて庶民にも広く普及することとなる。このように、平安中期に誕生した和様は、中世・近世を通じて日本の書道史を決定づける巨大な影響力を持ったのである。