周恩来 (しゅうおんらい)
1898年〜1976年
【概説】
中華人民共和国の建国から死去するまで一貫して首相(国務院総理)を務めた政治家・外交官。卓越した柔軟な外交手腕を持ち、冷戦期のアジア外交や日本との国交正常化交渉において極めて重要な役割を果たした人物である。
アジア外交の展開と「平和五原則」の提唱
周恩来は、中華人民共和国の建国初期において外交部部長(外相)を兼任し、非同盟諸国との関係強化に努めた。冷戦下の1954年、インドのネルー首相との間で、領土主権の相互尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等互恵、平和共存からなる平和五原則を発表した。この原則は、翌1955年に開催されたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)における「平和十原則」の基礎となり、第三世界の団結と国際地位の向上に大きく貢献した。
日中国交正常化への決断と田中角栄との会談
1970年代に入り、アメリカのニクソン大統領の訪中という歴史的転換(ニクソン・ショック)を契機に、日中関係も劇的に動いた。1972年9月、日本の田中角栄首相と大平正芳外相が訪中した際、周恩来は中国側代表として粘り強い交渉にあたった。両国間には、戦争賠償権の放棄や台湾(中華民国)との関係、さらには歴史認識の問題など多くの懸念事項があったが、周恩来は「求同存異(小異を残して大同につく)」の精神を発揮して妥協点を見出し、日中共同声明の調印に至った。これにより、日中両国の国交が正常化され、戦後の東アジアにおける国際秩序は大きく塗り替えられることとなった。