免判 (めんばん)
10〜11世紀頃
【概説】
平安時代に国司が自らの権限において、国内の特定の土地に対して免税を認めた許可証。これによって税の免除を受けた荘園を国免荘と呼ぶ。律令制の変質に伴う地方支配の展開を示す史料である。
国司の裁量と「国免荘」の成立
平安時代中期、律令体制の変質に伴い、地方統治の実権は国司(受領)に委ねられ、徴税に関して国司は強い裁量権を持つようになった。こうした状況下で、国司が現地開発領主や有力な社寺の求めに応じ、自らの権限で官物や臨時雑役の免除を認めて発行した文書が免判である。免判によって不輸(免税)の特権を得た荘園は国免荘と呼ばれ、10世紀から11世紀にかけて急増した。これは、受領が任国内の勢力を懐柔し、円滑な徴税体制を維持するための現実的な妥協策でもあった。
官省符荘との違いと中世への影響
中央政府の太政官や民部省から正式な手続きを経て不輸の許可を得た官省符荘が恒久的な権利を持っていたのに対し、免判による国免荘は、本来はその免判を発行した国司の任期中(通常4年間)しか効力を持たない一時的なものであった。しかし、現地の開発領主らは、後任の国司に対しても再承認を強く求めたり、中央の権門(有力貴族や大寺社)に土地を寄進してその威光を利用したりすることで、免税特権の恒久化を図った。免判は、一時的な免税措置から実質的な私有地(荘園)へと移行していく過程を示すものであり、後の寄進地系荘園の普及や荘園公領制の確立を促す契機となった。