倭国大乱

重要度
★★

倭国大乱 (わこくたいらん)

2世紀後半

【概説】
2世紀後半の弥生時代後期、倭国(日本列島)で発生した諸国による大規模な長期的戦乱。中国の史書に記録されており、それまで分裂・抗争していた小国(クニ)が、大乱の収束を通じて政治的連合へと向かう契機となった歴史的転換点である。

中国史書に記された「桓霊の間」の衝突

倭国大乱についての記述は、中国の歴史書である『後漢書』東夷伝や『三国志』魏書東夷伝(いわゆる魏志倭人伝)に見られる。『後漢書』には「桓霊の間、倭国大乱れ、更相攻伐して歴年主なし」とあり、後漢の桓帝・霊帝の在位期間(146年〜189年)にあたる2世紀後半に、倭国で激しい武力衝突が続いたことが記されている。また、『三国志』では、それまで「男王」が治めていた倭国が、70〜80年を経て乱れ、互いに攻め合ったと記録されている。これらの記述から、当時の日本列島が統一された権力を持たず、多数の小国家(クニ)に分裂して覇権を争っていた状況がうかがえる。

考古学が証明する「戦乱の世紀」の物証

文献に描かれた大乱の様子は、現代の考古学的発掘調査によっても強く裏付けられている。弥生時代中期から後期にかけて、瀬戸内海沿岸や近畿地方を中心に、平地ではなく山頂や丘陵の上に集落を構える高地性集落が急増した。これは明らかに防衛や監視を目的とした軍事的な遺構である。さらに、集落の周囲に深い堀を巡らせた環濠集落が発達し、木柵や土塁による防御体制が強化された。出土品においても、それまでの祭祀用の青銅器に代わり、実戦用として鋭利に研ぎ澄まされた鉄製武器(鉄剣や鉄鏃)が普及した。各地の遺跡からは、頭部に矢じりが刺さった人骨や、激しい外傷を受けた人骨が多数発見されており、当時の戦闘が激絶極まるものであったことを生々しく示している。

大乱の収束と「卑弥呼」の共立による国家形成

長期間に及んだ戦乱は、従来の武力のみによる諸国の対立に限界をもたらした。各地域の首長たちは、これ以上の消耗を避けるため、互いの利害を調整できる超越的な権威の必要性を認識するに至った。そこで、諸国が「共に立てた(共立した)」のが、シャーマニズム(鬼道)によって神の意志を伝える宗教的権威をもった女王卑弥呼であった。彼女を首長同盟の盟主に据えることで、約30の小国からなる緩やかな連合政権(邪馬台国連合)が形成され、倭国大乱は終息を迎えた。この大乱とその収束プロセスは、日本列島における小国乱立の状態に終止符を打ち、のちのヤマト政権へと繋がっていく初期の「国家形成」を急速に推し進める決定的な契機となったのである。

卑弥呼の時代 (読みなおす日本史)

考古学の最新成果を交え、神話と史実の狭間に揺れる卑弥呼の生涯と邪馬台国の実像を解き明かす一冊。

卑弥呼の正体―虚構の楼閣に立つ「邪馬台」国

文献史学の視点から「邪馬台国」という枠組みの危うさを鋭く突き、卑弥呼を巡る虚構の歴史を解体する書。

日本史一問一答(ランダム)

Q. 鍬形石・車輪石・石釧などのように、古墳時代前期の呪術的な副葬品として出土する石で作られた腕輪の形をした製品を総称して何というか?
Q. 孝徳天皇の崩御後、かつて乙巳の変の際に譲位した皇極天皇が、史上初めて再び天皇の位に就いた際の天皇名は何か?
Q. 埼玉県の稲荷山古墳出土鉄剣や、熊本県の江田船山古墳出土鉄刀にその名が記されている大王の呼称は何か?