仮名草子 (かなぞうし)
【概説】
江戸時代初期に、平易な仮名混じり文で刊行された版本の読み物の総称。実用的な教訓や名所案内から娯楽的な小説まで多岐にわたり、後に井原西鶴らが大成する浮世草子の前身となった。
近世出版文化の幕開けと仮名草子の誕生
中世までの日本の文学は、主に公家や僧侶といった知識人階級によって漢文や擬古文で記され、一部の特権階級に独占されていた。しかし、江戸時代に入り平和な社会が到来すると、経済力をつけた町人階級が新たな文化の担い手として台頭し始める。この時期、朝鮮出兵の際に持ち込まれた活字印刷技術やキリシタン版の影響で古活字版が普及し、やがてより大量印刷に適した整版(木版印刷)へと移行していった。
こうした出版技術の発展と商業出版の成立を背景に、高度な漢字の素養を持たない一般庶民(町人や武士の婦女子など)でも読めるよう、平易な仮名書き、あるいは漢字に振り仮名を施した仮名混じり文で書かれた書物が大量に流通するようになった。これらを総称して仮名草子と呼ぶ。
啓蒙・実用から娯楽へ広がる多様なジャンル
仮名草子の内容は極めて多岐にわたる。初期には中世の御伽草子の流れを汲む物語や、仏教的・儒教的な教訓を説く啓蒙的な作品が多く見られた。例えば、ヨーロッパのイソップ寓話を翻訳した『伊曽保物語』(いそほものがたり)や、如儡子(にょらいし)が武士や町人の処世術・生き方を平易に説いた随筆的教訓書『可笑記』(かしょうき)などが広く読まれた。
また、交通網の整備に伴って庶民の間に旅行への関心が高まると、名所旧跡の由来を案内する実用性を兼ねた「名所記」も人気を博した。富山道冶(とみやまどうや)の作とされる『竹斎』(ちくさい)は、ヤブ医者の竹斎が狂歌を詠みながら江戸から京都へと東海道を下る道中を描き、後の道中記・滑稽本の先駆けとなった。
浅井了意の登場と小説的発展
17世紀半ばを過ぎると、仮名草子は次第に啓蒙的・実用的な枠組みから抜け出し、純粋な娯楽としての小説的な性格を強めていく。この過渡期において最大の足跡を残したのが、京都の僧侶とされる浅井了意(あさいりょうい)である。彼は当時のベストセラー作家ともいえる存在であり、怪異小説や名所記などを数多く執筆した。
了意の代表作である『伽婢子』(おとぎぼうこ)は、中国の怪異小説(『剪灯新話』など)を日本の舞台や風俗に翻案したものであり、日本の本格的な怪談文学の出発点として高く評価されている。また、浮世(現世)を享楽的に生きる男の遍歴を描いた『浮世物語』や、名所案内に滑稽な物語を交えた『東海道名所記』なども著し、読者層をさらに拡大させた。
浮世草子へのバトンタッチと歴史的意義
仮名草子は、中世の教訓的・説話的な文学から、近世の娯楽的・芸術的な町人文学へと移行する「架け橋」としての役割を果たした。しかし、その作風にはまだ中世的な道徳観や因果応報の思想が色濃く残っており、現実の人間社会の欲望や葛藤をありのままに描くには至っていなかった。
天和2年(1682年)、大坂の俳諧師であった井原西鶴が『好色一代男』を出版すると、町人のリアルな生き様や金銭・情欲を客観的かつ生き生きと描く新たな文学ジャンルが確立される。これを浮世草子と呼び、以後、文学の主流は仮名草子から浮世草子へと完全に移行することになる。仮名草子は、西鶴という天才が登場し近世文学が花開くための、豊かな土壌を準備した重要な前史であったといえる。