五保

重要度
★★

【参考リンク】
保(Wikipedia)

五保 (ごほう)

701年

【概説】
古代の律令社会において、民衆を統制するために設けられた、5戸を1組とする隣保・連帯責任組織。農民の浮浪や逃亡、犯罪を防ぐとともに、租税の確実な徴収を目的として導入された。

律令国家による民衆支配と五保の構造

大化の改新以降、日本は唐の律令制を手本とした中央集権国家の建設を進めた。その一環として、701年の大宝律令の制定により、人民を「戸」に編成して把握する戸籍制度が確立した。この戸籍制度を末端で支え、民衆の直接的な共同生活を監視・統制するために組織されたのが五保である。

五保は、近隣の5戸を1つのグループとして編成された。五保の内部からは代表者として保頭(ほとう)が選ばれ、グループ内の統率にあたった。主な役割は、不法行為や不審者の有無を互いに監視し、不審な動向があれば官司に告発することであった。もし構成員の中に犯罪者や逃亡者が出た場合、その事実を告発しなかった他の構成員も同罪とされ、連帯責任を負わされた。

班田収授法・税制の維持との関連性

五保が重視された最大の要因は、律令国家の財政基盤である班田収授法と税制(租・庸・調・兵役など)の維持にある。当時の農民にとって、重い税負担や過酷な防人・兵役、飢饉などは耐えがたいものであり、居住地を離れて行方をくらます浮浪・逃亡が相次いだ。

農民が逃亡することは、国家にとっては貴重な税源の損失を意味した。そのため、国家は五保の連帯責任を通じて、構成員同士が互いの逃亡を抑止する関係を作り出そうとしたのである。また、逃亡者が出た場合には、その者が負担すべきであった租税や雑徭などの未納分を、同じ五保のメンバーが共同で補填・代納する義務も課されていたと考えられており、国家の財政を担保する防波堤としての役割を担っていた。

五保制の形骸化と後世への影響

奈良時代後期から平安時代に入ると、貴族や寺社の私有地である初期荘園の拡大や、偽籍(兵役や税を逃れるために戸籍を偽ること)の横行、激しい浮浪・逃亡により、戸籍を基準とした支配体制(公地公民制)そのものが揺らぎ始めた。これに伴い、5戸のつながりを前提とする五保制も、実態を伴わない形骸化した制度へと変質していった。

しかし、「民衆同士に連帯責任を負わせて相互に監視させる」という統治手法は極めて有効であったため、後世の日本社会にも形を変えて受け継がれた。中世の惣村に見られる自検断(自衛・自治組織)や、江戸時代に幕府がキリシタン摘発や治安維持のために全国に徹底させた五人組(ごにんぐみ)制度は、この古代の五保制がルーツ、あるいはその系譜を引くものとしてしばしば比較される。

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