マルタ会談
【概説】
1989年12月、地中海のマルタ島沖合においてアメリカのジョージ・H・W・ブッシュ大統領とソ連のミハイル・ゴルバチョフ最高会議議長との間で行われた首脳会談。この会談において両首脳は、第二次世界大戦後から40年以上にわたって続いた東西冷戦の終結を公式に宣言した。戦後国際秩序の大きな転換点となった歴史的出来事である。
背景と開催までの経緯
1980年代後半、ソ連のゴルバチョフ政権は、停滞する国内経済を立て直すため「ペレストロイカ(改革)」と「グラスノスチ(情報公開)」を推進した。外交面でも「新思考外交」を掲げ、アメリカとの中距離核戦力(INF)全廃条約に調印するなど、緊張緩和(デタント)に努めていた。1989年に入ると、ソ連が東欧諸国への内政干渉(ブレジネフ・ドクトリン)を放棄したことで、東ヨーロッパ各地で民主化運動(東欧革命)が連鎖的に発生した。同年11月には冷戦の象徴であった「ベルリンの壁」が崩壊し、東西対立の構図は事実上崩れ去りつつあった。こうした激動の国際情勢のなかで、米ソ両大国の首脳が直接対話し、新しい世界秩序の構築に向けた共通認識を確認する必要性が急速に高まっていたのである。
会談の内容と「冷戦終結」の宣言
1989年12月2日から3日にかけ、地中海に浮かぶ島国マルタの沖合に停泊したソ連の客船マクシム・ゴーリキー号において、アメリカのブッシュ(父)大統領とソ連のゴルバチョフ議長による首脳会談が行われた。当日は悪天候に見舞われ、波に激しく揺れる船上での会談となったが、両者は軍縮や東欧情勢について率直な意見交換を行った。会談後の共同記者会見において、ゴルバチョフは「冷戦の時代は終わった」と述べ、ブッシュも「新しい協力の時代が始まる」と応じた。これにより、世界を資本主義陣営と社会主義陣営に二分してきた東西冷戦の終結が、世界に向けて公式に宣言されたのである。
歴史的意義と「ヤルタからマルタへ」
マルタ会談は、戦後の国際秩序を形作った1945年のヤルタ会談と対比され、その歴史的意義は「ヤルタからマルタへ」という言葉で象徴される。ヤルタ体制とは、米ソを中心とする戦勝国による世界分割と東西冷戦の出発点であったが、マルタ会談はそれに終止符を打つ歴史的画期となった。この会談で示された協調路線を契機として、翌1990年には東西ドイツの統一が実現し、1991年にはワルシャワ条約機構(WPO)が解散、そして同年末のソビエト連邦の崩壊へと直結していくことになる。マルタ会談は、イデオロギーによる分断の時代を終わらせ、冷戦後の多極化、あるいはアメリカ一極集中の新たなグローバル化時代への扉を開いた決定的な出来事であった。
平成初期の日本への影響
マルタ会談が行われた1989年は、日本では昭和天皇の崩御に伴い元号が「昭和」から「平成」へと改元された平成元年にあたる。冷戦終結という世界史的転換は、新しい時代の幕開けを迎えていた日本にも多大な影響を与えた。長年、米ソの冷戦構造を大前提として組み上げられていた日本の安全保障政策や外交戦略は、根本的な再構築を迫られることとなった。また、ソ連との緊張緩和が進んだことで、懸案であった北方領土問題の解決や日ソ平和条約締結に向けた機運が一時的に高まり、1991年4月にはゴルバチョフがソ連の国家元首として初めて訪日を果たすことになる。マルタ会談は、日本の「平成」という時代が、冷戦崩壊という国際社会の大激動とともに始まったことを象徴する出来事といえる。