サンフランシスコ会議(国連設立)
【概説】
1945年4月から6月にかけてアメリカのサンフランシスコで開催され、連合国50カ国が参加して国際連合憲章を採択した国際会議。第二次世界大戦後の新たな国際平和維持のための枠組みである、国際連合の設立を決定づけた。
新たな国際平和機構の構想と開催の背景
第二次世界大戦の最中から、連合国側は機能不全に陥っていた国際連盟に代わる、強力な権限を持った新たな国際平和機構の設立を模索していた。1944年のダンバートン・オークス会議において国際連合の原案が作成され、翌1945年2月に開かれたヤルタ会談において、アメリカ・イギリス・ソ連の首脳により、安全保障理事会における大国の一致の原則(拒否権の導入)や、本会議をサンフランシスコで開催することが最終的に合意された。
国際連合憲章の採択と国連の発足
1945年4月25日、まだ太平洋戦争が継続中であったが、日本やドイツに宣戦布告をしていた連合国50カ国の代表がサンフランシスコに集結し、会議が開会された(ポーランドはのちに署名し、原加盟国は51カ国となった)。会議では、常任理事国となる大国の拒否権の範囲などをめぐって、発言権の確保を目指す小国との間で激しい議論が交わされた。
しかし、最終的にはヤルタ協定で定められた大国主導の枠組みが維持され、同年6月26日に国際連合憲章が全会一致で採択、署名された。その後、同年10月24日に規定の批准国数に達して憲章が発効し、正式に国際連合が発足することとなった。
日本史における位置づけと「平和会議」との区別
日本史の学習において、本会議は1951年9月に開かれたサンフランシスコ平和会議(対日講和会議)と開催地が同じであるため、頻繁に混同される点に注意が必要である。1945年の本会議は国連設立を目的としており、当時の日本は交戦中の「敵国」であったため当然参加していない。また、この会議で成立した国連憲章には「旧敵国条項(第53条・第107条など)」が盛り込まれ、日本やドイツは国際社会の中で長らく警戒される立場に置かれた。
第二次世界大戦における敗戦後、日本が国際社会への本格的な復帰を果たし、念願であった国際連合への加盟を実現させるのは、1956年に日ソ共同宣言に調印し、ソ連との国交を回復した後のことである。