漢民族
【概説】
中国大陸の中原地域に定住し、独自の農耕文化と高度な文明を築き上げた中国の主流派民族。東アジア政治の中心的役割を担い、古墳時代の日本(倭国)の国家形成や文化発展に、渡来人の流入や朝貢外交を通じて決定的な影響を与えた存在。
東アジアの動乱と漢民族の江南大移動
4世紀前半、中国大陸では北方遊牧民族(五胡)の侵入により、漢民族の王朝である西晋が滅亡した。この「永嘉の乱」を契機に、華北の多くの漢民族が戦乱を避けて長江以南へと移住。江南の地に東晋を建国した。この大移動は、江南の本格的な開発を促すとともに、中国南部に洗練された貴族文化(南朝文化)を花開かせることとなった。華北における五胡十六国の争乱は、朝鮮半島における高句麗、百済、新羅の抗争を激化させ、さらには日本列島(倭国)へもその影響が波及。東アジア全体が大きな変革期を迎えたのである。
倭の五王の朝貢と南朝(漢民族王朝)との外交
古墳時代の5世紀、日本のヤマト政権(倭国)は「倭の五王」(讃・珍・済・興・武)の名で、漢民族の正統を自認する中国南朝(東晋、宋など)への朝貢外交を活発に行うようになった。倭国が広大な領土を有する北朝ではなく、江南の南朝を交渉相手に選んだ背景には、朝鮮半島南部(任那・加羅や百済)における外交的・軍事的な優位性を確保するための国際的権威(冊封)が必要であったことが挙げられる。漢民族の王朝から授かる「使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事安東大将軍倭国王」などの官爵は、国内の有力豪族を統制し、朝鮮半島での立場を有利にするための極めて強力な外交カードであった。
渡来人の流入と古代ヤマト政権の技術革新
大陸の混乱と半島での争乱は、多くの漢民族系の技術者や官人、および彼らと同化した人々(渡来人)を日本列島へと向かわせた。特に東漢氏(やまとのあやうじ)に代表される漢人系の渡来集団は、文字(漢字)を用いた文書管理や出納事務などの専門的な官僚能力(文筆)を有しており、黎明期のヤマト政権の行政機構を実質的に支えた。また、彼らがもたらした最新の金属器製造技術、陶質土器(須恵器)の製作技術、養蚕や織物、土木・建築技術などは、日本の物質文化を劇的に向上させ、古墳時代の日本における急速な国家形成と中央集権化の原動力となったのである。