MSA協定(日米相互防衛援助協定) (えむえすえーきょうてい(にちべいそうごぼうえいえんじょきょうてい)
【概説】
1954(昭和29)年に日本とアメリカ合衆国との間で調印された、軍事および経済援助に関する二国間協定。アメリカから武器や経済的援助を受ける見返りとして、日本が自衛力を増強することを義務づけた。冷戦期における日本の再軍備と、自衛隊発足の直接的な契機となった安全保障政策上の極めて重要な協定である。
冷戦の東アジア展開とアメリカの対日政策の転換
1950年に勃発した朝鮮戦争は、東アジアにおける冷戦対立を決定的なものとした。これに伴い、アメリカの対日占領政策は、日本の徹底的な非軍事化から「東アジアにおける反共の砦」としての再軍備化へと180度転換することとなる。1951年のサンフランシスコ平和条約と同時に締結された(旧)日米安全保障条約では、日本が漸次自己の防衛責任を負うことが抽象的に定められていた。
アメリカは自国の世界戦略に基づき、1951年に制定したMSA法(相互安全保障法)を日本にも適用し、西側陣営の軍備増強を図ろうとした。こうして、防衛力の自主的な漸増を具体的な義務として日本側に課すために交渉が進められ、1954年3月8日にMSA協定(正式名称:日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定)が調印された。
協定の構造:経済援助と引き換えの「自衛力増強義務」
MSA協定は、単一の条約ではなく、農産物購入協定、投資保証協定、経済措置協定の関連3協定を含むパッケージであった。その最大の特徴は、アメリカから提供される軍事・経済援助と、日本の防衛力増強という義務が「バーター(物々交換)」の形で結びつけられていた点にある。
具体的には、アメリカの余剰農産物(小麦や大麦など)を日本が安価に買い入れ、その売却代金を「見返り資金」として日本国内に積み立てた。この資金は、日本の防衛産業(軍需産業)の育成や経済復興の資金として活用された。その代償として、日本はアメリカ製の武器や軍事技術の供与を受けるとともに、「自国の防衛力を増強し、自由世界の一員としての防衛義務を果たすこと」を国際的に約束させられることとなったのである。
自衛隊の発足と「逆コース」を巡る国内の対立
MSA協定の締結は、日本の国内政治に決定的な影響を与えた。憲法第9条が保持する「戦力不保持」の原則との整合性が激しく問われる中、当時の吉田茂内閣は実質的な再軍備へと舵を切ることになる。協定発効後の1954年6月、国会で防衛庁設置法および自衛隊法(いわゆる防衛二法)が成立し、同年7月1日に自衛隊が正式に発足した。
それまでの保安隊・警備隊は、国土の防衛を明確な任務とする陸上・海上・航空の三自衛隊へと改編され、事実上の「軍隊」としての実質を備えるに至った。野党や社会運動勢力からは、この動きは戦争放棄を謳った憲法に違反する「逆コース(民主化・非軍事化の逆行)」であるとして、激しい批判が展開された。MSA協定は、戦後日本の安全保障体制がアメリカの冷戦戦略に深く組み込まれていく過程を象徴する出来事であった。