自社さ連立政権

村山富市内閣を支えた、自由民主党、日本社会党、新党さきがけの3党による連立政権の枠組みを何というか?
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重要度
★★

自社さ連立政権 (じしゃされんりつせいけん)

1994年〜1998年

【概説】
1994年から1998年にかけて、自由民主党、日本社会党(のちの社会民主党)、新党さきがけの3党によって組織された連立政権の枠組み。長年「55年体制」のもとで対立関係にあった自民党と社会党が手を組んだ大連立であり、村山富市内閣および橋本龍太郎内閣を支えた。冷戦終結後の政界再編期における象徴的な出来事であり、日本の政党政治のあり方を大きく変容させる契機となった。

「55年体制」の終焉と大連立の成立

1993年、細川護熙を首班とする非自民・非共産連立政権の誕生によって、1955年以来続いていた自民党一党優位の「55年体制」が崩壊した。しかし、非自民連立政権は内部の主導権争いから短命に終わり、続く羽田孜内閣も日本社会党(社会党)の連立離脱によって急速に失速、総辞職に追い込まれた。政権復帰を悲願とする自民党と、連立内で非主流派に転落していた社会党、そして仲介役となった新党さきがけの3党は、政策や理念の相違を超えた協力関係を模索。1994年6月、社会党委員長である村山富市を首相に担ぎ上げることで、自社さ連立政権(村山内閣)が発足した。かつての宿敵同士による「野合」とも批判された合意は、当時の日本世論に大きな衝撃を与えた。

村山内閣の政策転換と革新勢力の退潮

自社さ連立政権の発足に伴い、社会党は従来の党是であった基本方針を180度転換させることとなった。村山首相は国会答弁において、それまで「違憲」としてきた自衛隊を「合憲」と認め、さらに日米安全保障条約の堅持、日の丸・君が代の容認などを言明した。この歴史的な方針転換は現実主義的な路線修正として機能したものの、長年の支持基盤であった労働組合や左派支持層に深い失望をもたらした。結果として社会党(1996年に社会民主党へ改称)は急速に党勢を失い、戦後日本政治において保守政権と対峙してきた「革新」の退潮を決定づけることとなった。

橋本政権への移行と連立の終焉

1996年1月、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件などの震災・テロ対応に追われた村山首相が退陣すると、自民党総裁の橋本龍太郎が首相に就任した。第1次・第2次橋本内閣でも自社さの枠組みは維持されたが、実質的な主導権は完全に自民党へと回帰した。1996年の衆議院議員総選挙において、新たに導入された小選挙区比例代表並立制の影響もあり自民党が議席を回復した一方、社民党とさきがけは壊滅的な惨敗を喫した。自民党が単独で政権運営を行う目途が立ったこともあり、1998年6月、参議院議員選挙を前に社民党とさきがけが閣外協力を解消したことで、約4年にわたる自社さ連立政権は終焉を迎えた。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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