小泉純一郎内閣
【概説】
2001年から約5年間にわたって続いた、小泉純一郎を内閣総理大臣とする内閣。「聖域なき構造改革」をスローガンに掲げて新自由主義的な改革を推し進め、旧来の利益誘導型政治からの脱却や郵政民営化を断行した、平成時代を代表する長期政権である。
誕生の背景と「劇場型政治」
森喜朗内閣の不人気による自民党の危機的状況下で実施された2001年の自民党総裁選において、「自民党をぶっ壊す」と叫んで圧倒的な支持を集めた小泉純一郎が組閣した。発足直後から国民の高い支持率(小泉旋風)を背景とし、旧来の党内派閥の論理や意向を無視した人事を行い、政治主導・官邸主導の政治スタイルを確立した。メディアを巧みに利用し、政策の対立構図をわかりやすく提示する手法は「劇場型政治(小泉劇場)」と呼ばれ、5年を超える長期政権の原動力となった。
「聖域なき構造改革」の実態と光と影
小泉内閣は「聖域なき構造改革」「官から民へ」を掲げ、民間人の竹中平蔵を経済財政政策担当相(後に金融相や総務相を歴任)に起用して新自由主義的な経済政策を推進した。バブル崩壊以降の日本経済の重荷となっていた不良債権処理を強硬に進めたほか、財政投融資の改革や、日本道路公団をはじめとする特殊法人の民営化に着手した。
一方で、規制緩和の一環として2003年に労働者派遣法を改正し、製造業への派遣労働を解禁した。これにより企業は雇用調整が容易になり業績回復の恩恵を受けたが、同時に非正規雇用者が急増し、ワーキングプア問題や「格差社会」の進行という深刻な負の側面を生み出すこととなった。
日朝首脳会談と対米協調外交
外交面では、2001年のアメリカ同時多発テロ事件を受け、迅速にテロ対策特別措置法を成立させて自衛隊をインド洋へ派遣し、ジョージ・W・ブッシュ政権下の米国と強固な蜜月関係を築いた。2003年のイラク戦争においても米国を支持し、イラク復興支援特別措置法に基づいて自衛隊をイラク南部のサマワへ派遣した。
また、2002年には日本の首相として初めて北朝鮮を電撃訪問し、金正日国防委員長と会談を実施した。この日朝首脳会談によって北朝鮮は長年否定してきた日本人拉致問題の事実を認めて謝罪し、日朝平壌宣言が調印され、拉致被害者の一部帰国が実現した。しかしその一方で、小泉首相が個人的な信念から靖国神社参拝を繰り返したことは、中国や韓国からの猛烈な反発を招き、近隣諸国との首脳外交は長期にわたり停滞を余儀なくされた。
「郵政解散」と政権の歴史的意義
小泉内閣の最大にして最後の目標が、首相自身の長年の持論であった「郵政民営化」である。2005年、党内の反対派の抵抗により参議院で郵政民営化関連法案が否決されると、小泉はこれを「郵政解散」と称して衆議院を解散した。造反議員を非公認とし、対立候補(いわゆる「刺客」)を立てるという大胆な戦術で総選挙に臨み、自民党は歴史的な大勝を収めた。直後の特別国会で法案は可決・成立し、政権の最大の公約は果たされた。
2006年9月、党総裁の任期満了に伴い小泉内閣は退陣した。良くも悪くも、戦後の日本政治における「派閥政治」を解体して「官邸主導体制」を決定づけ、今日の日本社会の経済・社会構造の土台を形作ったという点で、日本現代史における最大の転換点の一つとして評価されている。