降伏文書調印
【概説】
1945年9月2日、日本政府および軍(大本営)の代表が東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリ号において連合国の文書に署名し、正式に日本の敗戦が確定した出来事。この手続きによって日本のポツダム宣言受諾が法的に完了し、第二次世界大戦(太平洋戦争)は終結した。
ポツダム宣言受諾から調印までの経緯
日本は1945年8月14日の御前会議においてポツダム宣言の受諾を決定し、翌15日の玉音放送によって国民に事実上の敗戦を知らせた。しかし、国際法上の戦闘状態を終結させ、連合国による占領体制へ移行するためには、正式な降伏文書(Instrument of Surrender)への署名が不可欠であった。8月28日以降、連合国軍の先遣隊が日本本土への進駐を開始し、8月30日には連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーが神奈川県の厚木飛行場に降り立ち、本格的な占領統治の準備が進められていた。
ミズーリ号における調印式
調印式は9月2日の午前、東京湾に停泊していたアメリカの戦艦ミズーリ号の甲板上で厳粛に挙行された。日本側の全権代表として、日本政府を代表して重光葵外務大臣が、大本営(日本軍)を代表して梅津美治郎参謀総長がそれぞれ署名を行った。これを受諾する連合国側は、連合国軍最高司令官のマッカーサーが署名したのち、アメリカ(チェスター・ニミッツ提督)、中華民国、イギリス、ソ連、オーストラリア、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランドの全9カ国の代表が順次署名を行った。
降伏文書の内容と占領時代の幕開け
降伏文書には、日本軍の無条件降伏、ポツダム宣言の各条項の誠実な履行、そして天皇および日本国政府の国家統治の権限が連合国軍最高司令官の制限下(subject to)に置かれることなどが明記されていた。この調印をもって、1931年の満州事変から15年間にわたって続いた日本の戦争は名実ともに終結を見た。
また、調印と同日にマッカーサーは「一般命令第一号」を発布し、国内外の日本軍の武装解除の手順や、占領軍への協力体制などの基本方針を指示した。これにより日本は国家主権を制限され、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)による間接統治という未曾有の占領時代へと突入していくこととなった。なお、国際法上における完全な戦争状態の終結と日本の主権回復は、のちの1952年におけるサンフランシスコ平和条約の発効を待つこととなる。