小林多喜二

雑誌『戦旗』などで『蟹工船』を発表してプロレタリア文学の代表的作家となったが、特高警察の拷問によって虐殺されたのは誰か?
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★★★

【参考リンク】
小林多喜二(Wikipedia)

小林多喜二 (こばやしたきじ)

1903年〜1933年

【概説】
大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した、日本におけるプロレタリア文学の最高峰とされる小説家。『蟹工船』などの作品を通じて資本主義下の過酷な労働実態と階級闘争を描き出したが、特別高等警察(特高警察)の苛烈な拷問により虐殺された。

労働問題への目覚めとプロレタリア文学への傾倒

小林多喜二は1903年(明治36年)に秋田県で生まれ、幼少期に北海道の小樽へ移住した。苦学の末に小樽高等商業学校(現在の小樽商科大学)を卒業後、北海道拓殖銀行に就職する。第一次世界大戦後の大正デモクラシーの気風のなか、当時の小樽は港湾労働者や工場労働者が多く、激しい労働争議が頻発する地域であった。多喜二は銀行員として働きながら労働運動に関わり、次第にマルクス主義思想やプロレタリア文学(労働者階級の視点から社会的矛盾を描き、社会変革を目指す文学運動)に強く傾倒していくようになった。

1928年(昭和3年)、三・一五事件(日本共産党員や労働運動家に対する全国規模の弾圧事件)が起きると、多喜二はこの事件を題材にした小説『一九二八年三月十五日』を執筆した。治安維持法のもとで特高警察が行った残虐な拷問と弾圧の実態を告発したこの作品は、左翼文学のなかで高く評価されたが、同時に国家権力から危険分子として目をつけられる決定的な契機ともなった。

代表作『蟹工船』の発表とその歴史的意義

1929年(昭和4年)、多喜二は全日本無産者芸術連盟(ナップ)の機関誌『戦旗』に、彼の代名詞となる傑作『蟹工船』を発表した。この作品は、オホーツク海で操業するカニ缶詰製造の加工船を舞台に、非人間的な環境で酷使される労働者たちが、資本家の代理人である監督に対してストライキを起こし、決起する姿を描いた群像劇である。

本作は、特定の主人公を設けず「労働者の集団」を主役に据えた点や、帝国主義的膨張を続ける当時の日本資本主義の矛盾を鋭くえぐり出した点で、プロレタリア文学の記念碑的作品となった。しかし、その内容が天皇の軍隊(帝国海軍)を資本家の手先として描いていたため、即座に発禁処分を受ける。さらに、この作品の発表などにより多喜二は北海道拓殖銀行を解雇され、上京して本格的な作家活動と社会運動に身を投じることとなった。

地下活動への潜行と非合法運動

上京後の多喜二は、日本プロレタリア作家同盟(ナルプ)の書記長に就任するなど、運動の中心的役割を担うようになる。1931年(昭和6年)には非合法化されていた日本共産党に入党した。同年には満州事変が勃発し、国内では戦争遂行のためにあらゆる反体制的な言論・思想への弾圧が狂気じみた様相を呈し始めていた。

特高警察の執拗な追及を逃れるため、多喜二は地下に潜行し、居場所を転々としながら非合法活動を続けた。この過酷な逃亡生活のなかでも彼は創作の筆を折らず、地下活動家の苦悩と闘いを描いた『党生活者』などを執筆し、弾圧に屈しない強靭な意志を示し続けた。

特高警察による虐殺と残された傷跡

1933年(昭和8年)2月20日、多喜二はスパイの密告により、待ち合わせ場所の赤坂で特高警察に逮捕された。築地警察署に連行された彼は、思想転向を迫る警察官から激しい拷問を受け、その日のうちに死亡した。享年29。警察側は「心臓麻痺による病死」と発表したが、遺族に返された遺体には全身に凄惨な拷問の痕(皮下出血や打撲痕)が残されており、拷問による虐殺であることは明白であった。

小林多喜二の死は、日本のプロレタリア文学運動に対する決定的な打撃となった。これ以降、恐怖に駆られた多くの左翼知識人や作家たちが次々と「転向」を表明し、運動は急速に衰退・壊滅していく。彼の生涯と凄惨な最期は、昭和戦前期の天皇制ファシズム下における国家権力の暴力性と、言論・思想の自由が抹殺された暗黒時代を象徴する歴史的事件として、今日に語り継がれている。

蟹工船・党生活者 (新潮文庫)

極限の労働環境で虐げられた労働者たちの怒りと団結を描き、現代にも通ずる搾取の構造を突きつける不朽の革命文学。

小林多喜二伝

苛烈な弾圧の中、命を賭してペンを握り続けた作家の生涯を追体験し、その魂の軌跡を克明に刻み込む評伝の決定版。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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