刑法
【概説】
犯罪とそれに対する刑罰を規定した国家の基本法典。明治政府が近代国家としての体裁を整え、欧米列強との不平等条約を改正するために、従来の中国法(律令)の影響を脱して西洋法を模範に整備した法規である。
「新律綱領」から「旧刑法」への過渡期
明治新政府は発足当初、独自の体系的な近代法典を持たず、江戸幕府の法や清の法律を参考にした新律綱領(1870年)や改定律例(1873年)を制定した。しかし、これらは儒教的な身分秩序を前提とし、残酷な刑罰を残すなど、東洋的な「律」の延長線上にあった。欧米列強との不平等条約(領事裁判権の撤廃など)を改正するためには、西洋諸国に認められる人権配慮と法治主義に基づいた近代法典の整備が急務であり、東洋的律例からの脱却が求められた。
ボアソナードと「旧刑法」の誕生
政府はフランスの法学者ボアソナードを御雇外国人として招聘し、フランス刑法を模範とした本格的な近代刑法の起草を依頼した。これにより、1880年(明治13年)にいわゆる「旧刑法」が公布され、1882年に施行された。旧刑法の最大の特徴は、あらかじめ法律で規定された行為のみを処罰する罪刑法定主義が日本で初めて全面的に採用されたことである。これにより、司法官の恣意的な裁判や拷問が否定され、身分差別のない刑罰の平準化が実現した。
ドイツ法学の影響と「現行刑法」への移行
フランス風の「旧刑法」は、個人主義や客観主義(犯罪行為そのものの結果を重視する)に偏っているとして、国家秩序や社会防衛を重視する立場から批判を受けるようになった。特にドイツ留学から帰国した法学者たちを中心に、犯罪者の反社会的な性格や主観を重視するドイツ刑法学が導入された。その結果、国家主義的な性格を強め、裁判官の裁量権を広げた新法として、1907年(明治40年)に現行刑法が公布(翌年施行)された。この現行刑法は、第二次世界大戦後の民主化に伴う改正(不敬罪や姦通罪の廃止など)を経ながらも、現代の日本社会を規定する刑事司法の基本法として受け継がれている。