第1次大隈重信内閣(隈板内閣)

1898年に憲政党を支持基盤として成立した、陸海軍大臣を除くすべての大臣を政党員が占めた日本初の政党内閣の通称は何か?
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第1次大隈重信内閣(隈板内閣) (だいいちじおおくましげのぶないかく(わいはんないかく)

1898年

【概説】
1898年、新たに結成された憲政党を支持基盤として誕生した日本最初の政党内閣。首相を大隈重信、内務大臣を板垣退助が務めたことから、両者の名をとり「隈板内閣」とも称される。短命に終わったものの、長らく続いた藩閥政治に対する政党勢力の一つの到達点であり、日本の憲政史において極めて重要な画期となった。

憲政党の結成と内閣成立の背景

日清戦争後の戦後経営に伴う財政難を背景に、第3次伊藤博文内閣は地租増徴案を帝国議会に提出した。しかし、これに猛反発する自由党と進歩党の連携によって法案は否決され、衆議院は解散された。この事態を受け、長年の政敵であった自由党(板垣退助系)と進歩党(大隈重信系)は、強大な藩閥政府に対抗するため歴史的な合同を果たし、1898年(明治31年)6月に圧倒的な勢力を持つ新党・憲政党を結成した。

窮地に陥った伊藤博文は、自らも政党を結成して対抗しようと試みたが、山県有朋ら他の元老の猛反対に遭って挫折する。打開策を失った伊藤は内閣総辞職を決断し、なんと後継首相に大隈と板垣を推挙したのである。こうして、天皇から大隈・板垣両名へ大命が降下し、日本初の政党内閣が誕生することとなった。

画期的な組閣と社会的熱狂

組閣において、大隈重信が内閣総理大臣兼外務大臣に、板垣退助が内務大臣に就任した。特筆すべきは、軍部大臣現役武官制の慣例(のちに制度化)により留任した陸軍大臣(桂太郎)と海軍大臣(西郷従道)を除き、すべての国務大臣が憲政党員で占められたことである。尾崎行雄が文部大臣に就任し、のちに犬養毅も入閣するなど、政党人が政府の要職を独占した。

長きにわたって薩長出身者が権力を独占してきた藩閥政治が打破され、「民党」の指導者がついに政権を掌握したことは、国民に多大な衝撃と熱狂をもたらした。「憲政党員でなければ人にあらず」と言われるほどの盛り上がりを見せ、政府の役職を求めて猟官運動に奔走する人々が全国から上京する事態ともなった。

尾崎行雄の「共和演説事件」と派閥抗争

しかし、もともと水と油の寄り合い所帯であった憲政党の内部には、旧自由党系と旧進歩党系の根深い権力闘争とポスト争いが燻っていた。その亀裂を決定的にしたのが、同年8月に発生した共和演説事件である。

文部大臣の尾崎行雄(旧進歩党系)が、帝国教育会の茶話会において、拝金主義を批判する文脈で「日本に共和政治が布かれたとしたら、三井や三菱の大番頭が立ち所に大統領になるだろう」と発言した。これが「天皇制を否定し共和制を是認する不敬な発言である」として、旧自由党系や藩閥・官僚勢力から激しい非難を浴びる事態となり、結果として尾崎は文相辞任に追い込まれた。

内閣の瓦解と後世へ遺した意義

尾崎の後任文相の人事を巡り、旧進歩党系は犬養毅を推し、旧自由党系は星亨を推して激しく対立した。首相の大隈が独断で犬養を後任に据えたことで、旧自由党側の不満は頂点に達した。星亨ら旧自由党派は、出し抜く形で一方的に憲政党の「解党」を宣言し、自らのみで新たな「憲政党」を結成する。これに対抗して旧進歩党派も「憲政本党」を結成し、与党は完全に分裂した。

支持基盤を失った隈板内閣は、10月に板垣ら旧自由党系閣僚が辞表を提出したことで機能不全に陥り、成立からわずか4ヶ月余り(1898年6月〜11月)で総辞職を余儀なくされた。

内部抗争によってあっけなく崩壊したものの、この内閣が遺した歴史的意義は極めて大きい。政党主導の政権運営が現実のものとなったことは、もはや超然主義を維持できないと藩閥政治家たちに痛感させ、後の伊藤博文による立憲政友会の結成(1900年)へと直結した。第1次大隈内閣の試みは、大正時代における本格的な政党内閣(原敬内閣など)へ至る、日本の議会政治・政党政治発展の重要な第一歩となったのである。

日本の時代史 20

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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