薩摩藩(幕末)

西郷隆盛や大久保利通らを輩出し、長州藩とともに倒幕と明治新政府樹立の中心となった藩(現在の鹿児島県)はどこか?
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薩摩藩(幕末) (さつまはん)

1853年 – 1871年

【概説】
現在の鹿児島県および宮崎県南西部を領有し、外様大名の島津氏が治めた大藩。幕末期にはいち早く藩政改革と富国強兵を成し遂げ、長州藩とともに倒幕運動および明治維新を主導する最大勢力となった。

莫大な負債からの財政再建と富国強兵

江戸時代を通じ、薩摩藩は表高77万石という屈指の外様大藩であったが、広大な領地の統治コストや参勤交代の負担に加え、桜島噴火などの自然災害が重なり、幕末期を前に500万両にも及ぶ莫大な借財を抱えていた。この財政危機を救ったのが、家老の調所広郷(ずしょひろさと)による天保の藩政改革である。調所は債務の無利子・250年賦という事実上の借金踏み倒しを強行する一方、奄美群島における黒糖の専売制強化や琉球を通じた清国との密貿易によって莫大な利益を上げ、藩財政を劇的に回復させた。

この豊潤な財政基盤を受け継いだのが、幕末の名君として名高い11代藩主・島津斉彬(しまづなりあきら)である。アヘン戦争における清の敗北に危機感を抱いた斉彬は、いち早く西洋の科学技術を導入し、集成館事業と呼ばれる日本初の近代的な洋式産業群を興した。反射炉の建設、大砲や洋式帆船・蒸気船の建造など、強力な軍事力と工業力を有する先進的な藩へと薩摩藩を脱皮させたのである。また、この時期に見出された西郷隆盛大久保利通といった下級武士たちが、後の維新回天において決定的な役割を果たすこととなる。

公武合体運動の推進と薩英戦争の衝撃

斉彬の急死後、藩の実権は異母弟の島津久光が掌握した。久光は急進的な尊王攘夷運動とは一線を画し、朝廷と幕府の結びつきを強めて国難にあたる公武合体運動を推進した。1862年(文久2年)には率兵上京を敢行し、自藩の過激な尊王攘夷派を粛清(寺田屋事件)したうえで、朝廷の使者とともに江戸へ下り、幕府に文久の改革を強要した。

しかし、その江戸からの帰途、武蔵国生麦村で薩摩藩の大名行列を横切ったイギリス人を藩士が殺傷する生麦事件が発生する。これが引き金となり、1863年(文久3年)にイギリス艦隊が鹿児島湾に侵攻し、薩英戦争が勃発した。最新鋭の艦砲射撃によって鹿児島城下は火の海となり、薩摩藩は欧米列強との圧倒的な軍事力の差を痛感させられた。この敗北は藩の基本方針を大きく転換させる契機となり、攘夷の不可能を悟った薩摩藩は逆にイギリスに接近し、近代兵器の輸入や留学生の派遣を通じてさらなる軍備の近代化へと邁進することになる。

薩長同盟の締結と武力倒幕への転換

当初、薩摩藩は「八月十八日の政変」や「禁門の変」において会津藩とともに長州藩を京都から追放し、第一次長州征討でも幕府軍の先鋒を務めるなど、急進的な長州藩とは激しく対立していた。しかし、幕府が独裁的な権力強化を図るようになると、久光らの公武合体路線は行き詰まりを見せ、大久保利通や西郷隆盛らは次第に幕府への不信感を募らせていった。

こうした状況下、土佐藩出身の坂本龍馬や中岡慎太郎らの仲介により、1866年(慶応2年)に京都で薩長同盟(薩長盟約)が極秘裏に締結された。武器の調達が困難であった長州藩に薩摩藩名義でイギリス製武器を提供し、逆に長州から薩摩へは兵糧米を供給するという実務的な提携から始まったこの同盟は、やがて強固な倒幕陣営の形成へとつながる。第二次長州征討において薩摩藩は出兵を拒否し、ついに幕府を見限って武力倒幕へと完全に舵を切ったのである。

王政復古から明治維新の最大勢力へ

1867年(慶応3年)、15代将軍徳川慶喜が大政奉還を行い政権を朝廷に返上すると、薩摩藩はこれに対抗して王政復古の大号令を画策し、天皇を中心とする新政府の樹立を宣言した。旧幕府側を挑発して開戦に持ち込み、1868年(慶応4年)に勃発した鳥羽・伏見の戦いを皮切りとする戊辰戦争では、薩摩藩兵が新政府軍の主力として各地を転戦し、旧幕府軍を打ち破った。

倒幕を完遂させた薩摩藩は、明治新政府において長州藩とともに絶大な影響力を誇るようになり、いわゆる「藩閥政治」の基盤を築いた。1871年(明治4年)の廃藩置県によって「薩摩藩」という行政区分は消滅し鹿児島県となったが、大久保利通や黒田清隆、松方正義、東郷平八郎など、同藩出身者はその後も政治・軍事における中枢を独占し、近代日本の形成過程に極めて甚大な足跡を残すこととなった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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