亀甲船 (きっこうせん)
【概説】
安土桃山時代の文禄・慶長の役において、李氏朝鮮の将軍・李舜臣が実用化したとされる特殊な軍船。甲板を亀の甲羅のような強固な覆いで保護し、敵兵の侵入を防ぎつつ強力な火器で日本水軍を翻弄した。日本側の水陸並進作戦を頓挫させ、戦局の行方に決定的な影響を与えた造船技術の傑作である。
「接舷戦」を無効化する独自の防御構造
亀甲船(朝鮮語ではコブクソンと呼ぶ)の最大の特徴は、敵の戦術を徹底的に研究して設計されたその極めて高い防御力にある。当時、織田信長や豊臣秀吉のもとで発展した日本水軍は、自船を敵船に横付けし、兵士が直接乗り込んで白兵戦を展開する「接舷戦(切り込み)」を得意としていた。これに対し亀甲船は、船体の上部を湾曲した強固な蓋(甲板)で完全に覆い、さらにその表面に多数の鉄の棘(とげ)や錐を植え付けることで、日本兵が船上に飛び乗ることを物理的に不可能にした。
船体のベースには、朝鮮水軍の主力艦であった「板屋船(ばんおくせん)」が用いられており、底が平らな平底船であるため、小回りが利きやすく沿岸部の複雑な潮流にも適応できた。外見が亀の甲羅に酷似していることからその名がつき、戦闘時には甲板の棘を隠すために藁などを敷き詰め、飛び乗ってきた日本兵に手傷を負わせる工夫も凝らされていた。
強力な火器搭載と文禄・慶長の役における歴史的役割
亀甲船は単なる防御用の船ではなく、高い攻撃力を備えた突撃船でもあった。船首には龍の頭を模した彫刻が施されており、その内部には大砲が仕込まれ、煙幕や砲弾を放って敵の陣形を混乱させた。さらに、船体の前後左右には無数の砲門が設けられており、安全な船内から射程の長い天字銃筒などの火砲や弓矢を用いて、日本水軍を一方的に攻撃することができた。
豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄の役・1592年〜)において、快進撃を続ける日本の陸軍に対し、水軍は瀬戸内海での経験から遠征海域の特性や大砲を用いた艦隊戦に不慣れであった。李舜臣率いる朝鮮水軍は、亀甲船を先頭に立てて日本艦隊の陣形を突破・撹乱し、玉浦海戦や閑山島海戦などで大勝利を収めた。この結果、日本水軍が朝鮮半島西海(黄海)を北上して陸軍に物資を届ける「水陸並進作戦」は完全に瓦解し、日本の陸軍は深刻な補給不足(兵糧難)に陥ることとなった。亀甲船の活躍は、明軍の援軍派遣と相まって戦局を膠着させ、最終的に秀吉の野望を挫折させる重要な契機となった。