牡丹図 (ぼたんず)
【概説】
安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した絵師・狩野山楽によって描かれた金碧障壁画。京都・大覚寺の宸殿(しんでん)を飾り、金箔の背景に大輪の紅白の牡丹を極彩色で描き出した、桃山美術を代表する傑作である。
桃山画壇の巨匠・狩野山楽と大覚寺の障壁画
狩野山楽(かのうさんらく)は、織豊政権期の画壇を支配した狩野永徳の高弟であり、その才能を認められて永徳の養子となった人物である。山楽は主君である豊臣秀吉の引き立てを受け、数々の大画面制作に携わった。しかし、豊臣家が滅亡に向かう激動の時代の中で一時的に身を隠すことを余儀なくされる。その後、九条家などの尽力により徳川氏による助命が叶い、京都にとどまって独自の画風を展開することとなった。この山楽を祖として京都で独自の発展を遂げた一派はのちに「京狩野(きょうがの)」と呼ばれる。京都の旧嵯峨御所である大覚寺に遺された一連の障壁画(国宝)は、山楽の画業の最盛期を示す代表作として位置づけられている。
「牡丹図」の美術的特徴と歴史的意義
大覚寺宸殿の「牡丹の間」を飾る「牡丹図」は、金地に極彩色で描かれた金碧障壁画(きんぺきしょうへきが)である。画面全体に貼られた絢爛豪華な金箔を背景に、見事な大輪を咲かせる赤と白の牡丹が、力強い筆致で描かれている。本作は、師である狩野永徳が確立した、雄大で力強い「大画(たいが)様式」のダイナミズムを受け継ぎつつも、山楽特有の細やかな写実性と、洗練された装飾的な美意識が高度に融合している点が特徴である。激動の安土桃山時代を生き抜いた絵師の生命力と、新時代(江戸時代)へと移行する過渡期の安定した秩序美が、一つの画面の中に息づいている。この「牡丹図」は、障壁画が単なる建築の装飾にとどまらず、権力者の威勢を示す精神的な空間装置として機能していた当時の文化的な特質を今に伝える、極めて貴重な史料である。