ナイフ形石器(石刃・ブレイド)

重要度
★★★

ナイフ形石器(石刃・ブレイド) (ないふがたせっき / せきじん)

約35,000年前〜約15,000年前

【概説】
縦長の石片(石刃)を加工し、刃をつけて対象物を切断・削剥するために用いられた、日本列島の旧石器時代後期を代表する打製石器。狩猟採集社会において、動物の解体や木・骨角器の加工など多目的に使用され、列島内で多様な地域的特徴を持っていた。

画期的な「石刃技法」の導入

旧石器時代後期(約3万5000年前)を迎えると、日本列島の人々の道具作りに大きな技術革新が起こった。あらかじめ石核(原石)の形を精巧に整え、そこから規則的に細長い石片を連続して打ち剥がす石刃技法(ブレイド技法)の出現である。この技法によって得られた縦長の石片(石刃)の側縁に、細かい打ち欠き(刃潰し剥離)を加えて作られたのがナイフ形石器である。一つの原石から効率よく複数の石器の素材を作り出すこの技法は、当時の人類の高度な知的・技術的発達を示すものであり、ナイフ形石器はその成果の結晶であった。

氷河期の狩猟採集生活を支えた万能ツール

ナイフ形石器は、その名の通り現代の「ナイフ」のように多目的に使用された。氷河期の厳しい自然環境下において、人々はナウマンゾウやオオツノジカなどの大型哺乳類を追って移動生活を送っていた。獲得した獲物を解体して肉を切り分ける、衣服とするために毛皮をなめす、あるいは槍の柄となる木材を削り、骨角器を加工するなど、当時の生活におけるあらゆる場面で不可欠な道具であった。さらに、木製の柄の先端や側面に装着し、狩猟用の槍先として用いられた例もあったと考えられている。

列島各地にみられる顕著な「地域性」

ナイフ形石器の歴史的意義として極めて重要なのは、日本列島内で明確な地域性が認められる点である。石器の形態や製作手法は一様ではなく、地域ごとに独自の発展を遂げた。例えば、東日本では杉久保型茂呂型(もろがた)、西日本ではサヌカイトを多用した国府型(こうがた)、北海道や東北地方北部ではシベリアの影響を強く受けた荒屋型(あらやがた)などが代表的である。これは、各地の気候や植生、利用できる石材(黒曜石やサヌカイト、頁岩など)の違いに人々が適応し、旧石器時代末期にはすでに日本列島内で独自の地域集団や文化圏が形成され始めていたことを如実に示している。

気候変動による文化の変容と終焉

旧石器時代後期の終末(約1万5000年前頃)に近づくと、地球規模の温暖化が始まり、自然環境は劇的な変化を遂げた。大型哺乳類が減少し、森林が拡大して動きの素早い中・小型の動物が増加したことで、狩猟具にも変化が求められた。これに伴い、ナイフ形石器は次第に姿を消し、より小型で鋭利な石器を木や骨の柄に複数埋め込んで使う細石刃(さいせきじん)や、投げ槍の先端に用いる尖頭器(ポイント)へと主役の座を譲ることになる。ナイフ形石器の盛衰は、旧石器時代の人々がいかにして激動する自然環境と対峙し、道具を適応させて生き抜いたかを物語る重要な考古学的指標である。

入門 旧石器時代の考古学

旧石器時代の発掘調査から得られる遺物や遺跡の分析を通じ、当時の人々の生活様式や技術的進歩を克明に読み解く入門書。

日本旧石器時代 (岩波新書 黄版 209)

当時の日本列島で暮らした人々の痕跡を考古学的な視点から精緻に追い、その起源と変遷の全貌を紐解く学術的価値の高い一冊。

日本史一問一答(ランダム)

Q. 長く白い布で巻かれて秘仏とされていたが、明治時代にフェノロサらによって見出された、法隆寺夢殿の本尊である木造の観音像は何か?
Q. 縄文時代の狩猟において、イノシシなどの動物を捕獲するために動物の通り道に掘られた罠(わな)を何というか?
Q. 鞍作鳥(止利仏師)が造立したとされる、飛鳥寺の本尊であり、日本最古の金銅仏の通称は何か?