別当

鎌倉幕府において、侍所・政所・問注所などの各機関のトップ(長官)のことを総称して何と呼んだか?
カテゴリ:
重要度
★★

別当 (古代~中世)

【概説】
本来の本職とは別に、特定の臨時の事務や組織を管理・統括するために置かれた長官の職名。平安時代の寺社や貴族の家政機関で広く用いられ、鎌倉幕府においては侍所や政所などの最重要機関の長官を指す。

起源と変遷:令外の官から寺社・貴族の家政機関へ

別当の語源は、律令制下において本来の官職(本官)を持つ者が、特定の事務や臨時の任務に「別に当たる」という意味に由来する。律令の規定にない令外の官(りょうげのかん)の一種として発生し、平安時代には東大寺や興福寺などの大寺社において、一山を管理・統括する最高責任者の職名として定着した。

また、摂関家などの有力貴族が設置した家政機関である「政所(まんどころ)」の長官も別当と呼ばれ、実務に長けた中級貴族(諸大夫)がこれに任命されて家政を切り盛りした。このように、特定の組織を実質的に統括する実務型の最高責任者を表す言葉として、中世を通じて広く使われることとなった。

鎌倉幕府における別当:侍所と政所の長官

鎌倉幕府を開いた源頼朝は、朝廷や貴族の制度を模倣・応用して自らの統治機構を整えた。その過程で、幕府の主要な役所の長官に「別当」の職名を採用した。幕府創設期において特に重要な役割を果たしたのが、侍所(さむらいどころ)と政所(まんどころ)の別当である。

1180年に設置された軍事・警察機関である侍所の初代別当には、有力御家人の和田義盛が就任した。また、1184年に行政・財政機関として設置された公文所(のちの政所)の初代別当には、京都の明法家(法学者)出身の実務官僚である大江広元が起用された。武士の統率者としての義盛と、朝廷の実務に通じた官僚としての広元という、幕府を支える二大巨頭がそれぞれ別当として頼朝を直接補佐したのである。なお、裁判機関である問注所(もんちゅうじょ)の長官は、当初「執事」と称され、実務官僚の三善康信が務めた。

執権政治への移行と別当の権力化

鎌倉時代中期以降、幕府の権力構造が変化すると、別当の意味合いも大きく変容していった。頼朝の死後、台頭した北条氏は他氏排斥を進め、幕府の実権を握っていく。

1213年の和田合戦によって和田義盛が滅ぼされると、執権の北条義時は政所別当に加えて侍所別当も兼任し、軍事と行政の最高権限を一身に集めた。これが後の幕府最高職である「執権(しっけん)」の権力の源泉となる。以後、執権を務める北条氏得宗家が政所や侍所の別当を世襲・兼任することが常態化し、別当は実務的な長官から、北条氏による専制政治(得宗専制政治)の権力を担保するための重要な肩書へと変化していった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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