六歌仙 (ろっかせん)
【概説】
『古今和歌集』の序文である「仮名序」において、編者の紀貫之によって評価された6人の代表的な歌人の総称。平安時代前期の漢風から国風へと移行する過渡期において、和歌の復興に大きく貢献した名手たちである。
国風文化の胎動と六歌仙の時代背景
平安時代初期の嵯峨天皇や清和天皇の朝廷においては、中国の唐文化を模倣した漢詩文が公式の文学として重んじられ、和歌の地位は相対的に低下していた。この時期は「国風暗黒時代」などとも呼ばれるが、実際には貴族たちの私的な場や男女の贈答において和歌は脈々と詠み継がれており、その表現技法は高度に洗練されつつあった。9世紀後半に入ると、遣唐使の派遣休止などを背景に、日本独自の感性を重視する国風文化が台頭し始める。このような過渡期において、和歌の芸術性を飛躍的に高め、後の『古今和歌集』編纂への道を切り開いたのが、六歌仙と称される歌人たちであった。
『古今和歌集』「仮名序」における紀貫之の評価
六歌仙という呼称は、延喜5(905)年頃に奏上された最初の勅撰和歌集『古今和歌集』の、紀貫之が執筆した「仮名序」(ひらがなで書かれた序文)に由来する。貫之はここで、和歌の歴史と本質を説きつつ、先行する優れた「近き世にその名聞こえたる人」として6人の歌人を挙げ、その作風を鋭く、時に批判的に批評した。例えば、在原業平に対しては「その心あまりて言葉たらず」、小野小町に対しては「あはれなるやうにて強からず」といった評価を下している。これは単なる非難ではなく、和歌を単なる遊びではなく、高い文学的基準を持つ宮廷芸術として自立させようとする、編者たちの強い自負の表れであった。
六歌仙の顔ぶれとその文学的個性
六歌仙に数えられるのは、僧正遍昭(そうじょうへんじょう)、在原業平(ありわらのなりひら)、文屋康秀(ふんやのやすひで)、喜撰法師(きせんほうし)、小野小町(おののこまち)、大友黒主(おおとものくろぬし)の6人である。彼らは官位としては決して高位の貴族ではなかったが、その個性的な詠み口は後世に多大な影響を与えた。特に在原業平や小野小町は、のちに『伊勢物語』をはじめとする文学作品の主人公や伝説的な美女として、虚実を交えながら中世・近世に至るまで広く語り継がれ、日本の古典美の象徴として神格化されていくことになる。