束帯

平安時代の貴族(男性)が、宮中での儀式などの公的な場に参列する際に着用した正装を何というか。
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重要度
★★

束帯 (そくたい)

平安時代~

【概説】
平安時代以降における男性貴族の最高格の正装(第一礼装)。朝廷での公的な儀式や参内の際に着用され、右手に笏(しゃく)を持ち、腰に大刀を佩用する格式高い装束。日本の伝統的な公家文化を象徴する服飾である。

律令官服の国風化と束帯の成立

束帯の起源は、奈良時代に制定された衣服令(衣服の規定)に定められた朝服(ちょうふく)に遡る。唐の官服をモデルとした朝服は、身体に密着し、活動的であるものの、日本の気候風土には必ずしも適していなかった。平安時代に入り、寛平の遣唐使廃止(894年)に象徴される国風文化が台頭すると、宮廷の服飾も徐々に和風へと変容していく。

朝服の上衣や袴の幅が広がり、ゆったりとしたシルエットを持つようになると、動きやすさよりも優雅な美しさを重視する「国風化」が進んだ。こうした変遷を経て、10世紀後半の平安中期には、宮廷での公的行事や儀式に臨むための第一礼装として、今日の「束帯」と呼ばれるスタイルが確立されたのである。

束帯の構成と位階による序列化

束帯は非常に多くのパーツから構成されている。頭部には冠(かんむり)を載せ、上半身には最も外側に着用する袍(ほう)をまとう。袍の下には長い尾を後ろに引く下襲(したがさね)や、白絹の半臂(はんぴ)、赤地などの大帷(おおかたびら)を重ねて着用した。さらに、腰には「石帯(せきたい)」と呼ばれる革製のベルトを締め、右手に笏(しゃく)を、左腰に大刀を佩用した。

これらの衣服や持ち物は、着用者の官位(身分)を厳格に示す基準となっていた。例えば、袍の色は位階によって厳格に定められており(これを当色(とうしき)という)、三位以上は紫、四位は深紫、五位は緋、六位は緑とされていた。また、右手に持つ笏も、五位以上の貴族は「象牙製(牙笏)」、六位以下の官人は「木製(木笏)」と定められており、束帯は単なるファッションではなく、律令国家の身分秩序を目に見える形で体現する装置であった。

後世への影響と現代への継承

束帯は宮中の公的な場での着用が義務付けられたが、その重厚な作りゆえに動きにくく、着脱にも多大な時間を要した。このため、天皇や貴族たちの私的な日常生活や、儀礼の簡略化に伴い、より簡便な直衣(のうし)狩衣(かりぎ)などが好まれるようになった。しかし、依然として国家的な重要儀式においては、束帯が「正装」としての地位を保持し続けた。

明治維新期に華族の服飾が洋装(西洋式の宮廷礼服や大礼服)へと移行した際にも、皇位継承儀礼などの伝統的な宮中祭祀においては、日本独自の伝統を維持するために束帯が用いられ続けた。今日でも、天皇の即位の礼などの最重要儀式において、新天皇や男性皇族、参列する男性神職などが着用する装束として、その伝統が厳格に守り継がれている。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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