伝馬制

駅制とは別に、国司の赴任や公文書の伝達など、地方官庁の公務のために郡家(郡衙)ごとに馬を用意させた交通制度を何というか?
カテゴリ:
重要度
★★

【参考リンク】
駅伝制(Wikipedia)

伝馬制 (てんませい)

奈良時代〜平安時代

【概説】
律令体制下の日本において、国司の赴任や公使の往来など地方行政の公務のために郡家(郡衙)などに置かれた馬を利用させた交通・運輸制度。中央と地方を結ぶ「駅制」と並び、古代国家の地方支配を支えた組織的インフラ。

駅制との違いと機能的役割

古代日本における律令法、特に軍防令(ぐんぼうりょう)が規定する交通制度は、駅制(えきせい)と伝馬制(てんませい)の二大体系から構成されていた。これらは利用目的や管轄が大きく異なっている。駅制が中央と地方を結ぶ主要な官道(七道)に「駅家(えきか/うまや)」を設け、中央政府の緊急連絡や公式使節のために「駅馬」を配備したのに対し、伝馬制は地方行政の公務に特化したものであった。伝馬は各地方の郡の役所である郡家(ぐんげ/ぐんが)に原則として5頭ずつ配備され、新旧国司の交代にともなう移動や、地方を巡検する公使の送迎、さらにはそれに付随する物資の輸送などに利用された。

伝馬制の負担と衰退

伝馬の飼育や調達、またそれを利用した公使の送迎にかかる費用や労力は、その土地を治める郡司(地方豪族)や、管内の有力農民、一般民衆への課役によって賄われていた。しかし、奈良時代後半から平安時代にかけて、律令制が徐々に変質・弛緩し、班田収授の崩壊や国司制度の形骸化(受領の台頭など)が進むと、在地の負担は極めて重いものとなった。負担に耐えかねた農民の逃亡や郡司階層の経済的衰退にともない、9世紀から10世紀頃には従来の国家的な伝馬制は機能不全に陥った。だが、この公務のために地方で交通の便宜を調達するという仕組みは、中世の宿站制度や、近世江戸時代の幕藩体制を支えた「五街道」における伝馬制度へと、形を変えて受け継がれていくこととなる。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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