飛鳥美人 (あすかびじん)
【概説】
奈良県明日香村の「高松塚古墳」石室壁画に描かれた、極彩色の女子群像の愛称。高句麗の壁画と強い類似性を示す色鮮やかな衣装を身にまとっており、飛鳥時代終末期(白鳳文化)における東アジアの密接な文化的交流を象徴する絵画史料である。
1972年の発見と戦後最大の考古学的衝撃
1972(昭和47)年3月、奈良県高市郡明日香村の高松塚古墳から、それまでの日本古代史観を覆すような極彩色壁画が発見された。これは戦後の日本考古学史上、最大の発見の一つとされる。石室の東壁と西壁、北壁(玄武)、天井(星宿図)には高度な技術で描かれた図像が遺されており、その中でも東壁に描かれた4人の女性からなる「女子群像」は、その色彩の鮮やかさと豊満な美しさから「飛鳥美人」と称され、日本中に空前の考古学ブームを巻き起こした。この発見は、文献史学のみに頼りがちであった飛鳥時代の研究において、物質文化から当時の実像にアプローチする重要性を広く知らしめる契機となった。
高句麗壁画との類似性と東アジアの国際色
飛鳥美人が着用している衣服は、縦縞のロングスカート(プリーツ・スカート)の上に、襟元や袖口に縁取りのある上衣を重ね、さらにショールのような「比礼(ひれ)」を羽織るという、極めて大陸風・朝鮮半島風の意匠である。これは、古代の朝鮮半島国家である高句麗の「水山里(すいざんり)古墳」や「双楹塚(そうえいづか)」などの壁画に描かれた女性の服装と酷似している。当時、倭国(日本)は白村江の戦い(663年)での敗北を経て、急速に律令国家体制の整備を進めていたが、文化面においては依然として隋・唐や朝鮮半島の先端文化を意欲的に取り入れていた。飛鳥美人の姿は、天武・持統天皇期を中心とする白鳳文化が、いかに東アジアの国際色豊かな文化体系であったかを雄弁に物語っている。
被葬者論争と近代における文化財保存の課題
飛鳥美人が描かれた高松塚古墳の被葬者については、天武天皇の皇子説(高市皇子や忍壁皇子など)、百済や高句麗系などの渡来系高官説、さらには朝鮮半島の王族説など多角的な議論がなされているが、未だ特定には至っていない。しかし、これほど贅を尽くした極彩色壁画を石室内に描かせることができた人物が、当時の朝廷において最高中枢に位置する特権階級であったことは確実である。また、発見後に生じた壁画のカビ発生や劣化の問題は、日本の文化財保護における大きな教訓となった。2007年には石室が解体されて壁画が取り出され、長期にわたる恒久的な修復作業が行われるなど、飛鳥美人は文化財の「保存と公開」という現代的な課題を提起し続ける存在でもある。