宮内省 (くないしょう)
【概説】
大宝律令の制定にともない設置された、二官八省制における八省の一つ。天皇の衣食住や宮中での日常生活の支援、皇室の財産管理など、天皇および皇室の私的な家政全般を統括した行政機関。
律令体制における宮内省の位置づけ
飛鳥時代後期から奈良時代にかけて、日本は唐の律令制度を範にとった中央集権的な国家体制(律令制)を構築した。701年の大宝律令の制定によって「二官八省」の官僚組織が完成すると、宮内省はその八省の一つとして位置づけられた。宮内省は、国政の最高機関である太政官の傘下にあり、右弁官が管轄する四省(兵部省・刑部省・治部省・宮内省)の一部を構成した。国家の一般的な政務を司る他の七省とは異なり、宮内省は天皇の私的生活の保障と、宮廷の維持運営に特化した極めて特殊な役割を担っていた。
天皇の家政を支えた多様な下部組織
宮内省の長官である宮内卿(くないのかみ)の下には、多岐にわたる専門業務を処理するために多くの下部組織(職・寮・司)が置かれた。代表的なものとして、宮中での大規模な饗宴や天皇の食事を司る大膳職(だいぜんしき)、皇室の調度品や衣類の管理、宮中の掃除を行う掃部司(かもりづかさ・のちの掃部寮)、皇室の私的な財宝や進上物を管理する内蔵寮(くらりょう)、宮廷の水や氷を調達する主水司(もんどつかさ)などが挙げられる。これらは天皇の身辺に直結する機関であり、宮内省が宮廷の物質的基盤をすべて支えていたことを示している。
「公」と「私」の境界線と宮内省の歴史的意義
古代の日本において、国家の公的な職務と天皇の私的な用務は明確に分離されておらず、天皇の生活を維持することはそのまま国家の最高公務とみなされていた。宮内省という国家機関が皇室の家政を担当したことは、その象徴と言える。しかし、平安時代に入ると、天皇の秘書的役割を果たす蔵人所(くろうどどころ)が設置され、天皇の私的な権力が蔵人所に集中するようになると、宮内省の本来の機能は次第に形骸化していった。それでもなお、宮廷の儀式や先例を維持する官司としての宮内省の組織は、中世・近世を通じて存続し、近代の明治政府における宮内省へと引き継がれることとなった。