金正日 (きむじょんいる)
【概説】
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の第2代最高指導者。初代指導者・金日成の後継者として一党独裁体制を維持し、軍事最優先の「先軍政治」を展開した。日本の外交史においては、2002年に小泉純一郎首相と会談し、かねてから否定していた日本人拉致事件を公式に認めた人物として知られる。
権力世襲と「先軍政治」による独裁体制
金正日は、北朝鮮の建国者である金日成の長男として生まれた。1970年代から実質的な後継者としての地位を固め、1994年の金日成の死去に伴い、事実上の最高指導者となった。彼が権力を掌握した1990年代半ばの北朝鮮は、ソ連崩壊に伴う経済援助の途絶や、度重なる自然災害により「苦難の行軍」と呼ばれる大飢饉に直面していた。
この未曾有の体制危機に対し、金正日は軍事を国家の最優先事項とする「先軍(ソングン)政治」を提唱した。朝鮮人民軍を体制維持の基盤として位置づけ、国防委員長を国家の最高職と定めることで、深刻な経済不況の中でも独裁体制を維持することに成功した。
小泉首相の訪朝と拉致問題の進展
冷戦終結後の国際的孤立と経済的窮乏を打開するため、金正日政権は日本との関係改善を模索した。これに応じる形で、2002年(平成14年)9月、日本の小泉純一郎首相が電撃的に平壌を訪問し、史上初となる日朝首脳会談が実現した。
この会談において、金正日はそれまで北朝鮮側が一貫して関与を否定してきた日本人拉致問題について、特殊機関の「英雄主義」による暴挙として初めてその事実を公式に認め、謝罪した。両首脳の間で「日朝平壌宣言」が署名され、拉致被害者5人の帰国が実現したものの、多数の被害者が死亡・行方不明とされたことで日本国内の世論は激化し、国交正常化交渉は大きな障壁にぶつかることとなった。
日朝交渉の決裂と安全保障への脅威
2004年にも小泉首相による2回目の訪朝が行われ、金正日との再会談がもたれたが、拉致問題の全容解明をめぐる双方の主張の隔たりは埋まらなかった。さらに金正日政権は、アメリカや日本などの国際社会に対抗するため、核兵器開発や弾道ミサイル「テポドン」などの発射実験を強行した。
これにより、拉致問題に加えて安全保障上の脅威が緊迫化し、日朝国交正常化への道筋は完全に頓挫した。金正日は2011年に死去し、その権力は三男の金正恩へと世襲されたが、金正日政権下で顕在化した拉致・核・ミサイルという「日朝間の諸懸案」は、現在にいたるまで解決されないまま日本外交の最重要課題として残されている。