日本原子力研究所

1956年、原子力基本法の制定に続いて茨城県東海村に設立され、日本の原子力研究の中心的役割を担った機関は何か?
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重要度
★★

日本原子力研究所

1956~2005年

【概説】
1956年に茨城県東海村に設立された、日本の原子力平和利用と技術開発を先導した特殊法人。第二次世界大戦後のエネルギー需要の急増を背景に発足し、日本初の原子炉臨界を成功させるなど、戦後日本の科学技術と核エネルギー政策において中核的な役割を果たした研究機関である。

戦後日本の「原子力の平和利用」と設立の背景

1945年の広島・長崎への原子爆弾投下を経験した日本において、戦後の原子力研究は連合国軍総司令部(GHQ)によって全面的に禁止されていた。しかし、1953年に米国のアドレー・アイゼンハワー大統領が国連総会で「平和のための原子力(Atoms for Peace)」を提唱したことを契機に、国際社会において原子力をエネルギー源として活用する「平和利用」の機運が急速に高まった。

これを受けて日本国内でも、1954年に改進党の中曽根康弘らを中心とする有志議員によって原子力開発予算が国会に提出・可決された。翌1955年には、研究開発を「民主・自主・公開」の三原則のもとで行うことを定めた原子力基本法が制定される。この法律に基づき、国策としての原子力研究開発を具体的に実行する中心的な機関として、1956年に特殊法人日本原子力研究所(原研)が設立された。

茨城県東海村での研究推進と「原子の火」の点火

日本原子力研究所の本拠地として選定されたのが、茨城県那珂郡東海村であった。広大な用地が確保でき、冷却水の確保や交通の便が良いことなどから選ばれた東海村は、これ以降、日本の原子力研究の聖地となっていく。

設立翌年の1957年8月、原研に設置された水型研究用原子炉「JRR-1(Japan Research Reactor No. 1)」が、日本で初めて核分裂の連鎖反応が持続する「臨界」に達した。これは日本に「原子の火」が灯った瞬間として、当時の社会に大きな衝撃と科学技術への期待感を与えた。その後も原研は、初の国産原子炉である「JRR-3」の建設や、多目的高温ガス炉の研究、放射性同位元素(アイソトープ)の産業・医療利用など、日本の原子力技術の基礎を築く多角的な研究活動を展開した。

高度経済成長を支えた技術と組織の再編

原研が蓄積した技術的成果は、民間電力会社による商用原子力発電の導入(1966年の東海発電所の営業運転開始など)を支え、日本の高度経済成長期における深刻なエネルギー不足の解消に大きく貢献した。しかし、技術的難度の高さや放射性廃棄物の処理、核燃料サイクルの確立をめぐる諸問題など、原子力政策そのものが内包する課題にも直面し続けた。

2005年、政府の特殊法人合理化計画の一環として、日本原子力研究所は、新型転換炉や高速増殖炉の開発を担っていた「核燃料サイクル開発機構(旧・動燃)」と統合されることとなった。これにより、新たに独立行政法人日本原子力研究開発機構(JAEA)が発足し、日本原子力研究所はその約半世紀にわたる歴史に幕を下ろし、新たな組織へと研究開発の役割を引き継いだ。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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