散切物

明治時代の歌舞伎で、ちょんまげを切った人物や洋風の小道具を登場させ、文明開化の世相を描いた演目を総称して何というか?
カテゴリ:
重要度
★★

【参考リンク】
散切物(Wikipedia)

散切物 (ざんぎりもの)

1870年代初期~1880年代初期

【概説】
明治初期の歌舞伎において、文明開化期の新しい世相や風俗を取り入れた演目の総称。従来の丁髷を落とした「散切頭」や洋服、人力車などの西洋近代的な記号を舞台上に登場させた、近代歌舞伎の過渡期を象徴するジャンルである。

文明開化の波と「散切頭」の流行

明治維新を迎えた日本は、明治政府が推し進める近代化政策のもとで、社会制度や生活様式が劇的に変化する文明開化の時代を迎えた。その象徴的な出来事の一つが、1871(明治4)年に発せられた散髪脱刀令(断髪令)である。「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」という当時の流行歌に代表されるように、それまでの身分標識であった丁髷を落とし、髪を短く切りそろえる「散切頭」は、新しい時代の先駆者たちのアイコンとなった。

こうした急激な社会の変化や新しい風俗を、大衆娯楽の王座にあった歌舞伎がいち早く取り入れたことで誕生したのが「散切物」である。舞台の上には、洋服を着て、洋傘(こうもり傘)を差し、懐中時計を携え、人力車に乗るなど、当時の東京の最先端の都会風俗がそのまま再現され、物珍しさも手伝って観客から大きな喝采を浴びた。

黙阿弥と菊五郎による近代風俗の表現

散切物を演劇として定着させ、芸術の域に高めた立役者が、幕末から活躍していた劇作家の河竹黙阿弥(二代目河竹新七)と、名優の五代目尾上菊五郎である。黙阿弥は、新聞記事に掲載された実際の事件や新奇な世相(いわゆる「新聞物」)を素早く台本化し、生々しい現代劇を作り上げた。その代表作である『人間万事金世中(にんげんばんじかねのよのなか)』(1879年)は、イギリスの戯曲を翻案したもので、金銭に翻弄される近代的な人間模様を描いて人気を博した。

また、五代目尾上菊五郎は、実際に西洋の生活様式を研究し、洋服の着こなしや近代的な身のこなしを舞台上で実践した。これにより、江戸時代の世話物(庶民の日常を描いた演劇)が持っていた「写実(リアリズム)」の精神が、明治という新しい現実の生活描写へと引き継がれることとなった。

演劇史上における意義と「過渡期」の限界

しかし、散切物は外見的な風俗こそ近代化されていたものの、その内実や筋書きの構造は、江戸時代の「因果応報」や「義理人情」といった古典的なモラルから脱却できていなかった。西洋的な道具立てを舞台に配置しつつも、劇の骨組み自体は従来の世話物のフォーマットをそのまま流用していたため、近代的な自我や葛藤を真に描き出すには至らなかったのである。

やがて時代が下ると、歌舞伎の近代化は、九代目市川団十郎らが推進した歴史考証を重視する「活歴物」や、知識人らによる「演劇改良運動」へと移行していく。散切物は、古典的な約束事に縛られていた伝統演劇に初めて「現代」を持ち込み、後の新派劇や新劇といった近代演劇の誕生を媒介する、重要な「端境期(はざかいき)」のあだ花であったといえる。

概説日本演劇史

古代から近現代まで能・狂言・歌舞伎の変遷を体系的に辿る演劇史の決定版。

日本の現代演劇 (岩波新書 新赤版 372)

戦後の小劇場運動から現代の多様な舞台までを俯瞰する演劇批評の金字塔。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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