円覚寺舎利殿 (えんかくじしゃりでん)
【概説】
神奈川県鎌倉市の臨済宗円覚寺にある、釈迦の歯とされる仏牙舎利を安置する仏堂。鎌倉時代後期に中国から伝来した「禅宗様(唐様)」の建築様式を今に伝える、極めて貴重な国宝建造物である。
禅宗様(唐様)の粋を集めた建築美とその意匠
円覚寺舎利殿は、鎌倉時代後期に宋・元から禅宗とともに日本に伝わった禅宗様(唐様)の典型を示す代表的建築物である。それまでの日本伝統の「和様」や、重源が東大寺再建に用いた「大仏様(天竺様)」とは一線を画す、中国直伝の高度な建築技術と装飾美が取り入れられている。
具体的な特徴としては、屋根の重みを支えるために柱と柱の間にも細かく配置された詰組(つめぐみ)、屋根の四隅へと放射状に広がる扇垂木(おおぎだるき)、上部が曲線的なアーチ状を呈する花頭窓(かとうまど)、そして機能性とデザイン性を兼ね備えた桟唐戸(さんからど)などが挙げられる。これらの要素が緊密に調和し、軽快でありながらも力強く荘厳な外観を作り出しており、当時の鎌倉における大陸文化受容の先先進性を色濃く示している。
北条氏の禅宗帰依と舎利殿の歴史的変遷
円覚寺は、鎌倉幕府の執権である北条時宗が、元寇(文永・弘安の役)による戦没者の追悼と、自らが帰依する禅宗の普及のため、南宋の無学祖元を招いて1282年(弘安5年)に創建した寺院である。舎利殿は、鎌倉幕府3代将軍・源実朝が宋の能仁寺から請来したとされる「仏牙舎利」を安置するために建立された。ここには、北条氏による幕府の正統性誇示と、宋風文化に対する高い憧憬が背景に存在していた。
当初の舎利殿は1563年(永禄6年)の火災によって焼失してしまったが、その後、同じ鎌倉尼五山の第一位であった太平寺(廃寺)の仏殿が移築され、現在の舎利殿となった。この移築された建物は15世紀中頃(室町時代中期)の再建遺構と推定されているが、鎌倉時代後期の禅宗様建築の基本寸法や端正なプロポーションを極めて忠実に再現しており、中世建築史研究において第一級の史料価値を持つ国宝として評価されている。